前のエントリーにいただいたコメントで
「製品化された」カドゲの魅力を聞かれたのでその話。
書きたいことは山盛りあるけど、
まあ伝わりやすそうなところを簡潔に二つくらいチョイス・・・
するつもりだけど、きっと話は大きく逸れたり長文化する予感。
以下。
ということで。
トランプじゃなくて製品化されたトリックテイクとかカドゲの魅力とかの話。
それというのも前のエントリーでこんな風なコメントをいただいたので、
それについてお答えする的な意味合いで一つ。
>というのも僕は「トリックテイクなんてトランプでやればええやん」
>と思っているからなのです。
>そこで質問なのですが、市販のトリックテイキング・ゲームの、
>トランプにはない魅力って何でしょう?
きっと方々に話が飛んでいくので前もってお詫び。深くお詫び。
まあ、あれですわ。ぶっちゃけ、トリックテイクなカドゲはトランプで代用出来るものも少なくないです。
でもそこはそれ、ボドゲを遊ぶ人であれば少なからずコレクター気質みたいなモノを持っているわけで、その対象を実際に所持したいっていう欲求に飢えていたりするわけですよ。で、そういうのをこじらせて病状が悪化しちゃって取り返しつかないという事例が、すなわち僕みたいな酷くアタマ悪いアレだという。
いやまそれはともかく、まあ、トリックテイクなカドゲに限った話でもないですが、大きく二つくらいは理由を挙げてみても、それはもう一般的な事例なので当たり障りないかなと思いつつ、こうやって書き綴ってみる次第。人によっては「何を今更」というようなこと書くかもですが、それはま、ご勘弁。
まず一つ目。やっぱし製品化ならではのオモシロなカード構成。これ。
トランプでいうところの、4スート13ランク+2ですか。それに収まりきらないカード構成を持たせることはそれすなわちゲームとしての特殊性や独自性を有すると言えるんじゃないかなと。非均等ってのはそれだけでカード捌きに特徴が出てオモシロく思えるもんです。例えば「フォッペン」。あれは4スートありますが、各スート2から始まり最多で20、最小だと10までしかなく、スートごとに存在枚数が違います。あげくスートなしの1が4枚あって必ず色を追従するってな効果がありますしね。基本はマストフォローですが、全員が全トリックに参加するわけではない不平等なシステム特性と早上がりを目指すという変則さからくるその失点の構造を考えると実に適切でオモシロなカード構成です。
他には「オスカー」とか。これも5スート、非均等。少ないカードはたったの4枚しかないのに、多いのは16枚もある。しかもメイフォロー仕様で結局はランク無視してスート色で決着つけさせるあたり、「ああ、チーム戦を想定してるな、やるな」と思わせる仕上がり。さらに混迷させるようにスートランク無効のカードを複数枚仕込むという手の込みよう。最初はこんなの大丈夫なのか?と思ったけど、遊んでみたら多人数チーム戦だとなぜか不思議とまとまってて高効率で機能するからデザイナーって人種は本当にすごいなと。構成非均等のやつは、どうしてそれでゲームが成り立つのかバランス取れてるのか、っていうオドロキが伴うから余計に感動してしまう。まあ、たまに成り立ってないのとかもあるけど、そういうのはネタにするか完全忘却の方向で。
あと構成の話をしたらやっぱり触れておきたいのは「ボトルインプ」。あれはすごい。3スートでマストフォローのゲームなのだけど、ご存知のように1から37まであるランクのそれぞれに偏重させながら各スートが分布されてるってやつ。弱め・ほどほど・強めのスートがそれぞれあるんだけど、ツボのトリック必殺ルールとの兼ね合いとカード記載の得点配分の妙がスバラシイ。あ、そうね、カードそれぞれに違う得点配分ができるってのも製品化の利点か。代用できないこともないけど、37枚をゲーム中にそれぞれ違う認識するのは大変だし。視認性・理解度の高さから言っても専用のメリットは大きい。ともあれ、ボトルインプはテーマ性の再現度といい、ツボを引き取りながらジリ貧になっていく展開といい、本当にすごいトリックテイクだと思う。あのツボがね、またいいんだ。
というフリをしながら二つ目の話へ。製品化されたカドゲにはコンポーネントそのものの魅力がある。いや、製品化したからにはトランプにはない魅力を付与しなければ売れないわけであって、メーカーとしてもそれはこまるから、出来れば代用できない独自の魅力を持たせようっていう考えは当たり前と言えば当たり前なんだけども。
このコンポーネントの魅力、ってのは大きく二つあって、カードそのものとカード以外にわけられる。例えばさっき挙げたボトルインプなんかは、いや両方っていいたいところだけどとりあえずはカード以外の魅力かな。ツボをやりとりするのはとても楽しい。これが真四角なよくみかける木製キューブなんかだったら、とてもこの雰囲気とかは出せないと思う。「うわあ、ツボ使っちゃったよー」って後悔しながらもその力に溺れて、いやこのままではマズイとか自戒しつつも、最後は手放せず破滅したりとか、たった一つのツボっていうコンポーネントが存在するだけで、自分が今いる「ゲーム世界」みたいなのが目の前に大きく投影されるというか。世界に入り込む楽しさってのは確実にある。しかも本作はカード全てを通して物語が描かれているっていう凝った仕様・・・なんだけど、ゲーム中はカードのイラストとか読むことないし、それはまあいいか。
ともかく、ゲームシステム的なオモシロさだけに留まらず、そのゲームが持つ世界観やら物語性を表現していくことで、そのオモシロさは2倍にも3倍にも膨れ上がっていく。これはトランプという汎用性の高いカードではやっぱり成し得ないこと。テーマを描ききったシステムを持つゲームに対する評価はほぼ例外なく高いし、遊んだときの印象も強く感動も深い。実際、こういうのがあるからボドゲやらカドゲやらにハマる人がいるんだとも思うし。「テーマと噛み合ってないよなー」とか思ったりガッカリと話しちゃったりする理由はすなわちその感覚に起因してるはず。ボドゲでも簡単に自作できたりするやつとかあるけど、そのゲームが持つ雰囲気とか空気までは自作できない。あくまでゲームシステムのみを再現できたことで楽しめてるのであって、デザイナーとメーカーが意図するそのゲーム本来の持ち味を楽しんでいるとはいえないと思う。「それ」で遊ぶからこそオモシロいっていう、いわばコンポーネントに依存したオモシロさを持つゲームは結構多いはず。「代用できる、けど、これがいい」とかいう。それはちょっとしたプレイアビリティに関するものだったり、ちょっとした雰囲気作りの小道具だったり、質感だったり、手触りだったり。そういうのってすごく大事。その世界が感じられると入り込みやすいというか。言ってしまえばRPGみたいなもんで、そのゲームを遊んでるときはプレイヤーはその世界の住人になってるようなもの。だから、なんであれ雰囲気を高めるモノは多いに越したことはないし、また逆に「それ」を遊んでるときはそれ以外のことを感じさせるアレコレは極力少ないほうがいい。集中して映画観てて静かなシーンでオナラとか着信音とか聞こえてきたら一瞬で白けてしまうのにも似た。理由はどうあれ、一度白けると持ち直すのは当然難しい。どんなボドゲカドゲでもそういう繊細さは少なからずあるんじゃないかなあ。汎用とか代用ってのはそんな白けを導くことがあるし、やっぱりそのあたりに弱い。 あ、あと、触覚的な醍醐味を持つやつとかも代用きかない。めくったり、押したり、転がしたり、落としたり、引っ付けたり、廻したり。って、なんかだいぶと本筋からずれてるぞっと、話戻します。
トランプはあくまでその多様なトランプゲームのシステムを再現できる能力を持ったコンポーネントであって、いやたしかに中には世界を持たせたトランプゲームもあるけどその再現性はそれ専用のものと比べると乏しいことは否めない。ボード有りのトリックテイク、なんかは比較対象としてはちょっとずれるけど、そういう「世界再現の魅力」っていう話としては端的でわかりやすいかも。
「キャニオン」みたく駒使って峡谷の中をカヌーで進んでいくのとか、「ヒスパニョーラ」みたく船から押しやられて孤島を彷徨っていくのとか、「ポートロイヤル」の積荷を蓄えてく感じも楽しいし、「勝利と名声と」みたく戦場ボードに兵士送って大砲撃ったりとか雰囲気出てる。あと、ちょっと意味合いはずれるけど、「ニエット」の「これはいやだぜ」投票ボードとかも駒をポチポチ置きながら「ああ、あれは残っておいて欲しいなあ」とかジリジリしながらもまんまと潰されたときのガッカリ感ったらないし、「命中」とかでゴールを目指して突き進んでは勢い良すぎて通り過ぎちゃって「ああ調整で戻るしか」なんてチンタラしてたら他人が追いついてきて焦るし間に合うのか!云々とかも視覚的に現況というか他プレイヤーとの有利不利・位置関係が明らかになるっていう意味でもすごく効果的で扇情的だと思うし。
カードそのものの魅力っていう話だと、いや例えばトランプなんかで簡単に代用できる僕が愛して止まない「ジニー」とかその代表だと思うんだけど、あれはぶっちゃけハーツの亜種、というか「ちょー簡単ハーツ」みたいなゲームだったりするから十二分に代用で遊べたりするわけで。すごいシンプルであっというまに規定ラウンド終わるけどカード捌きはわりとシビアで云々、だから僕はもう原体験的な贔屓目もあって大絶賛だったりするカドゲだったりするのだけど、あれはやっぱりカードそのものの魅力による楽しさがオモシロの多くを占めてると思うわけですよ。
昔書いたことあるけどカード構成単純でマストフォロー、1-10の4色スートで赤が全部失点。各スートの9が全部ちょっときつめの失点になってて、赤で9だとさらにキツイ失点設定、っていう内容。で、ですわ。この9のカードが全部とぼけた感じのおばけ(タイトルからすると精霊なんだけど)が数字の代わりに描かれてる。これにより独特の字体使ってるけど6のカードと混同しないようになってるし、何よりトリック中にこいつが出てきたとき、「で、でたー」っていうゲンナリぶりを即座に味わうことに。カード出たときに明らかにその他とは違って即時認識できるってのはこういう失点系のトリックテイクでは大切で、「うわ、このトリック、ミスった・・・」と思わせるインパクトがより強くなるし、トリックを回収する際には「こいつ、とぼけた顔しやがって」とカード見てむかつくしで、たったこれだけなのにすごくその「ジニー」っていうゲームを遊んでいる気になる。「○○っていうゲームを遊んでいる」という実感は、言えばさっきのゲーム世界を感じる云々の話にも通じるんだけど、見方変えると違う方向にいくと思うので続けます。
一日に(大局で見れば一月でもいいんだけど話はまあわかりやすく一日で)通していくつもゲームを遊ぶからにはやはりその都度、「手には違うものを持っていたい」。ゲーム中にずっと眺めたり悩んだり検討する対象だからこそ味わい深かったり、こりゃ楽しい!とか思わせる一工夫された何かが手元にあるだけで、やっぱりプレイする気分は違ってくると思う。トランプの汎用性は本当にすごいと思うし、一つ持ってれば色々なゲームを遊べるから便利だとも思うけど、一日ずっと同じもの見てたら正直言って飽きる。それがどれだけオモシロで多種多様なゲームを立て続けに遊べていたとしても。これは僕が酷く飽きっぽいっていうのもあるけど、それよりもおそらく僕がトランプ畑の人間でないってのが大きい。コンポーネントが色々であることに慣れてしまっているというか。だから、内容が変わっていても見た目が変わらなければ、平坦で変化がなく思えるし気分が一新しない。自然、飽きがくるわけで各ゲームの評価も経過時間につれて下がっていく。複数遊んでいるなら、後のゲームほど評価低くなる。気分によってオモシロさを感じなくなったりマヒするってのは人間として仕方のないことだから、そこを解消するのもコンポーネント的な役割だと思われつ。ボドゲーマーという人種であれば全般的に、というか総じてそんな感じは多分にあるんじゃないかなあと。そういうとこ含めて、ボドゲーマーはトランプを敬遠する傾向があると思うし。
前に
「ルー」っていうすげーオモシロなギャンブル系トランプゲーのことを紹介してみたんだけど、次の日くらいには如何に騙して普通のカドゲとして遊ばせるか、みたいなことを
エントリーにしてたような記憶。まあそれはどうやったら偏見なく遊んでもらえるかなーっていう苦肉の策だったんだけどまあいいや。傍からみてふと「なにそれ、オモシロそう」って思わせるのはやはり専用カード使ってるゲーム。誘引力が違う。いや、だからこそ差別化含めて製品化するんでしょうけどね。ルールだけ売ってもメーカーは儲からないだろうし。コンポーネント含めて一式売らないと。そりゃね。
一見してその他のカードと印象が異なるのがあるってのはそれだけで雰囲気出るし格好いい。「ジュピターのもとに」みたく必勝札とかが目に見えて「おれつえー」になるのとか、特殊札が多い「死者の日」とかで視覚的に効果を理解しつつ「こんなのどう使うんだよ今回・・・」とか途方にくれるのとか、やっぱり視覚情報に頼ったところにモチベーションだのを左右されてしまう生き物だからゲーマーってのはたぶん。手元から想像を広げるのが楽しいんだろうな。
ボドゲやカドゲが娯楽として確固とした一ジャンル築けたのは、それぞれのゲームがその世界を楽しむための専用であったこと、これに尽きると思う。多種多様なゲームが存在して、それぞれが独自の世界を持ってた。ツールとして世界を想像し易いように出来てる。この「専用だからこそ想像が容易」ってのが大切で、例えば全員で宇宙戦争を想像して空想に浸れ、って言われても漠然としてて難しいけど、全員で映画でも観ればすぐに共通の概念と設定とで世界に浸って楽しめる。同じ宇宙戦争でも「スターウォーズ」みるのと「のび太と鉄人兵団」見るのとでもまた違うってくるし。皆でボドゲを囲むということや、とっかえひっかえゲームを遊びたくなるとかいうのは上手くいえないけどそういうことなんじゃないかなと。
あれ?なんか話が大きくなってきたけどなんだこれ。
いや最早全くまとめられる気がしないけど、なんというかそんな感じ。トリックテイクに限った話ではないけど製品化ってたぶんこういうこと。何が「こういうこと」なのかは書いてた僕もいまいち謎ですが、日本人的曖昧さを存分に発揮しつつそれはそれで、みたいな。垂れ流す風が最近のトレンドだということで一つ。
まあ、あれですよ、この駄文をキッカケに皆さんも自分の中のボドゲ像と向き合ってみては?的な感じでどうにか終われないもんでしょうかね。・・・ちょっとテキトーすぎますかね。でも終わりますが。
長々とすみませんでした。
では。
こんにちは。詳しいご説明をありがとうございました。いろいろと考えさせられました。やはり僕は「トランプ畑の人間」だってことなんでしょう。
2つ目の「製品化されたゲームには世界がある」というのは、仰るとおりでしょうが、トリックテイクに限らずドイツゲーム全般に当てはまることですよね。で、僕はトリックテイクに世界を求めないタチなので、「どうせ金払うならトリックテイクでないゲームを買おう」と思ってしまうのですよ。また僕の持っている製品版のトリックテイクは「シュティヒェルン」にせよ「知略悪略」にせよ「ヴァス・シュティヒト?」にせよコンポーネントがイマイチというかトランプの方がずいぶんとマシというシロモノなのでw、「コンポーネントが魅力的な製品版トリックテイキングゲームがある」というのは結構意外でした(因みに例として挙がっているゲーム、聞いたことあるのが半分くらい、プレイしたことがあるのは皆無というていたらくですw)。トリックテイクに世界は求めないんですが、コンポーネントは非常に大事だと思います。そしてドイツやイタリアのトランプは非常に雰囲気があるんですよ。あれを使ってるだけで「あー俺今ドイツのトランプゲームやってんだなー」という感慨に浸れます。何せトランプ手にしてるだけで楽しいというヘンタイなのでw。
1つ目のお話については、トランプのゲームでも相当ブットンダものがありますし、またあんまりイジクリマワシて「これってトリックテイク?」となってしまってもツマランというか。トリックテイク好きだからこそ、トリックテイクが持つ魅力の根っこの部分は損なって欲しくないというか。そういうのがあって、面白いトリックテイクはトランプゲームでもう十分、ってな感じで今日まで来ました。でも今回のエントリーを拝見して、もう少し製品版のトリックテイクにも目を向けんとイカンなぁと少々反省しました。
長文失礼致しました。
[2009/06/28 16:21]
Cr
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